
Bow/礼
大相撲ファン
今日は大相撲七月場所の中日(なかび)。
ガキの頃って場所があると、学校で相撲の話したり、実際に相撲とったりして
野球、プロレスに次ぐぐらいの人気があって比較的身近なスポーツだった
ような気がする。

当時は誰でも自分の好きな力士がいたし、相撲にあまり詳しくない子でも5力士の
名前は知ってたはずだ。ガチャポンで力士の形をした消しゴムのシリーズが
あり、それを紙相撲のように台の上に乗せ、揺すって勝敗を決めるという遊びが
流行りまくった。この遊びはスーパーカー消しゴムをプッシュ式ボールペンで
弾いてどっちが速いか
(どっちが飛ぶか
)というゲームと並びガチャポンから派生した遊びの双璧と言えよう。

そんな俺のガキの頃のアイドルは「高見山」、当時の力士は今以上にキャラが
立っており、憎たらしいほどの強さを誇る北の湖や二枚目力士で人気の貴ノ花、
揉み上げが渋い魁傑、後にプロレスラーに転身した輪島、歌手もやってた増位山
後に横綱まで上り詰める若三杉などバラエティに富み、国技と呼ぶにふさわしい
人気と威厳があったような気がする。
その後、千代の富士という不世不出の大横綱が現れ、若貴ブームで大相撲は
人気のピークを迎える。しかしながら俺は大相撲というスポーツがな〜んか好き
になれなくなり、新聞の相撲の記事や星取表はおろか、スポーツニュースの
相撲コーナーが始まるとチャンネルを変えてしまうようになっていた。
時は経ち、俺に転機が訪れる。息子が小学校に入学した頃だったと思う。
彼は相撲に興味を持った。まあ、子供が大きなお相撲さんがぶつかりあう
のを見たくなるのも自然だと思う。でも息子の場合、あきらかに他の子供と
違う見方をしていたのだ。
相撲中継が始まる頃から結びの一番までTVの前で力士を凝視している。
俺が最も相撲に興味があった時でも、三役と前頭上位もしくは人気力士の
取組以外は見たいと思わなかった。普通の子供でも多分早くて5時すぎから
TV付けて三役以降の取組+高見盛が見れたらラッキーなんじゃなかろうか?
小学校低学年の子供が
「ちきしょう皇司やられた」とか「豊ノ島よわっ」とか「北桜おもしろい」とか
相撲ファンはともかく、一般人にはマイナーな力士の四股名を覚えるどころか
顔と名前が完全一致。恐るべき相撲マニアになっていたのであった。
(まあ毎日最初から最後までずっと見てたら覚えて当然だろうけど。。)

Practice in morning2 /朝稽古2
そんなマニアックな息子の影響で俺自身も相撲を見るようになった。
ガキの頃のように漠然と勝ち負け中心に見るのではなく、力士の技や癖、
また対戦相手との相性とか細かい部分まで見るようになった。
息子はまだそこまでの知識はなく、俺がそうなったのは舞の海さんと
北の富士親方の解説のおかげである。北の富士親方の手厳しい解説と
舞の海さんの非常に細かい解説は本当にわかりやすい。二人とも元力士
であるにも関わらず、滑舌が良く非常に聞き取りやすいというのもある。
尾車親方(元大関:琴風)は聞きとりにくかったりする。
(「おっつけ」が「おっちゅけ」に聞こえる

相撲に再び興味を持って数年、七月場所になると、家から半径10km以内に
相撲部屋の宿舎が4件もあることを知った。被写体としては最高っていうか
何しろデカいんでカメラに収めがいがある。朝稽古を見に行かなくては

ってことになって一番近くの片男波部屋を見に行くことにした。実は俺の写真は
京都と静岡の数枚以外すべて家から5km以内だったりする

幕内力士は二人。玉乃島関と玉春日関。
土曜日の朝稽古は玉春日関、日曜の朝稽古には玉乃島関が
軽めの稽古をしていた。幕内力士は軽めの調整なんだってことを知った。
玉春日関も玉乃島関も腕立て伏せばかりしていた。昔デブの友達が
まったく腕立て伏せできなかったんで意外に感じた。まあ立会いも組んで
からも腕力は絶対に必要なんでできなきゃおかしいんだけどね。
幕下以下の稽古は本当にハード。泥まみれになって頑張っていた。
あと、稽古のとき、白いまわしを付けたのが力士、色のついたまわしをしてるのは
幕下以下だそうだ。
玉春日関は今日も負けて8連敗。明日は頑張って欲しい。

Practice in morning /朝稽古
写真は3枚ともハードな調整を施した。加工じゃなくて調整

特に一枚目は昭和のメンコやプロマイド風な色合いでいい感じかもよ

追記あります。
加工してない証拠品(笑) 調整っすよ。。調整。。





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